陝西省(せんせいしょう)について
■陝西省(せんせいしょう)について
陝西省は、中国の内陸部の省です。ここは中国文明の発祥地の一つと言われています。世界の四大古代文明の一つとして知られる中国文明は、黄河流域で起こりました。この陝西省は、黄河の中流流域に位置しています。北には万里の長城があり、東は黄土高原が広がります。陝西省は歴史上常に北方民族からの侵入に脅かされてきました。そのことを考えると、陝西省の北に万里の長城があるということは納得がいきますよね。万里の長城はそもそもそれらの異民族から自分たちの町を守るために築かれたものだからです。陝西省はシルクロードの東の起点でもあったことから、中国、そしてアジアの文化に大きく貢献しました。お隣の山西省と共に、中国の中でも有数な歴史建造物が残る省として知られています。

中国四千年という長い歴史の中でもとりわけ歴史的に重要な年として知られているのは、紀元前221年です。なぜなら、この年に中国は初めて秦によって統一されたからです。最初の皇帝である、「秦の始皇帝」は非常に有名で多くの文学や映画などにも取り上げられていますね。陝西省にはその秦の始皇帝のお墓があるのです。これが、秦の始皇帝陵です。陝西省の省都である西安市郊外にあり、周囲は約6.2キロ、高さは76メートルと非常に巨大な遺跡となっています。この秦の始皇帝陵のすごいところは規模だけではありません。このお墓を作るのに要した時間は実に38年、総動員数70万人というのですからすごいですよね。中でも圧巻なのは、始皇陵から東へ1.5キロ行った地点にある兵馬俑です。兵馬俑というのは、秦の始皇帝のお墓を守る目的で入れられたという大量の陶製の馬や人の人形たちです。この兵馬俑は中国の世界遺産や歴史的遺跡の中でもトップ3に入るかもしれませんね。この人形たちは具体的にどのような格好をしているのでしょうか。兵隊の平均身長は180センチと長身です。秦の始皇帝を守るためには背が高く屈強な者でなければいけないと考えられたのかもしれませんね。上半身は空洞になっていますが、下半身は空洞ではありません。驚くべき部分は、そのそれぞれの人形の表情が異なっており、さらに身分に寄って服装も様々だということなのです。しかし共通点もあります。それは、どの人形も武器を持っているということなのです。この人形たちが死後の秦の始皇帝を守るためにお墓に入れられたという理由がよく分かりますね。一部の人形に色がまだ残っていることから、埋められた当初は非常に鮮やかな兵隊俑だったことが分かります。当時これらの人形を作ってお墓に入れるというのは斬新なアイディアだったと言えるかもしれません。というのは、当時は殉死制度というものがあったからです。これは、皇帝などが亡くなった時、皇帝のお墓に生きた人間がそのまま埋められるということです。このような制度は中国だけでなく、エジプトなど様々な古代文明に見られます。しかし、秦の始皇帝のお墓には生きている人間の代わりに人形を入れるということから、秦の始皇帝以前の時代から確実に文明発展を遂げていることが分かります。さて、この兵馬俑はどのように見つけられたのでしょうか。この世界を驚愕させるような遺跡を見つけたのは、地元農民でした。1974年の3月、中国は激しい干ばつに見舞われていました。そんな時、地元農民が井戸を掘り始めたのです。2、3メートル掘ったところ陶器の破片のようなものが見つかり、考古学者が調べたところ地下に眠り続けていた兵馬俑が現れたということなのです。今現在も発掘が続けられています。

ここは三千年以上もの歴史を持つという温泉地です。始皇帝が建てたと言われる湯が「驪山湯(りざんゆ)」、楊貴妃が入浴したとされる「海棠湯(かいどうゆ)」など多くの温泉が復元されています。温泉は今も入浴できるところが多く、リューマチや関節炎に効果があるとされています。中国の温泉は水着を着て入る場合がほとんどです。中国の温泉を体験して見るのも良いですね。

652年に創建された仏塔です。この建物はもともと西遊記に登場する三蔵法師のモデルとなった玄奘がインドから持ち帰ってきた仏教の経典を保管するためにつくられたものです。高さは64メートルあり、頂上に上ると西安の街並みを一望に見渡すことができます。
陝西省は、中国の内陸部の省です。ここは中国文明の発祥地の一つと言われています。世界の四大古代文明の一つとして知られる中国文明は、黄河流域で起こりました。この陝西省は、黄河の中流流域に位置しています。北には万里の長城があり、東は黄土高原が広がります。陝西省は歴史上常に北方民族からの侵入に脅かされてきました。そのことを考えると、陝西省の北に万里の長城があるということは納得がいきますよね。万里の長城はそもそもそれらの異民族から自分たちの町を守るために築かれたものだからです。陝西省はシルクロードの東の起点でもあったことから、中国、そしてアジアの文化に大きく貢献しました。お隣の山西省と共に、中国の中でも有数な歴史建造物が残る省として知られています。
■世界遺産
●秦の始皇帝陵・兵馬俑(しんのしこうていりょう・へいばよう)

中国四千年という長い歴史の中でもとりわけ歴史的に重要な年として知られているのは、紀元前221年です。なぜなら、この年に中国は初めて秦によって統一されたからです。最初の皇帝である、「秦の始皇帝」は非常に有名で多くの文学や映画などにも取り上げられていますね。陝西省にはその秦の始皇帝のお墓があるのです。これが、秦の始皇帝陵です。陝西省の省都である西安市郊外にあり、周囲は約6.2キロ、高さは76メートルと非常に巨大な遺跡となっています。この秦の始皇帝陵のすごいところは規模だけではありません。このお墓を作るのに要した時間は実に38年、総動員数70万人というのですからすごいですよね。中でも圧巻なのは、始皇陵から東へ1.5キロ行った地点にある兵馬俑です。兵馬俑というのは、秦の始皇帝のお墓を守る目的で入れられたという大量の陶製の馬や人の人形たちです。この兵馬俑は中国の世界遺産や歴史的遺跡の中でもトップ3に入るかもしれませんね。この人形たちは具体的にどのような格好をしているのでしょうか。兵隊の平均身長は180センチと長身です。秦の始皇帝を守るためには背が高く屈強な者でなければいけないと考えられたのかもしれませんね。上半身は空洞になっていますが、下半身は空洞ではありません。驚くべき部分は、そのそれぞれの人形の表情が異なっており、さらに身分に寄って服装も様々だということなのです。しかし共通点もあります。それは、どの人形も武器を持っているということなのです。この人形たちが死後の秦の始皇帝を守るためにお墓に入れられたという理由がよく分かりますね。一部の人形に色がまだ残っていることから、埋められた当初は非常に鮮やかな兵隊俑だったことが分かります。当時これらの人形を作ってお墓に入れるというのは斬新なアイディアだったと言えるかもしれません。というのは、当時は殉死制度というものがあったからです。これは、皇帝などが亡くなった時、皇帝のお墓に生きた人間がそのまま埋められるということです。このような制度は中国だけでなく、エジプトなど様々な古代文明に見られます。しかし、秦の始皇帝のお墓には生きている人間の代わりに人形を入れるということから、秦の始皇帝以前の時代から確実に文明発展を遂げていることが分かります。さて、この兵馬俑はどのように見つけられたのでしょうか。この世界を驚愕させるような遺跡を見つけたのは、地元農民でした。1974年の3月、中国は激しい干ばつに見舞われていました。そんな時、地元農民が井戸を掘り始めたのです。2、3メートル掘ったところ陶器の破片のようなものが見つかり、考古学者が調べたところ地下に眠り続けていた兵馬俑が現れたということなのです。今現在も発掘が続けられています。
■その他の観光スポット
●華清池(かせいち)

ここは三千年以上もの歴史を持つという温泉地です。始皇帝が建てたと言われる湯が「驪山湯(りざんゆ)」、楊貴妃が入浴したとされる「海棠湯(かいどうゆ)」など多くの温泉が復元されています。温泉は今も入浴できるところが多く、リューマチや関節炎に効果があるとされています。中国の温泉は水着を着て入る場合がほとんどです。中国の温泉を体験して見るのも良いですね。
●大雁塔(だいがんとう)

652年に創建された仏塔です。この建物はもともと西遊記に登場する三蔵法師のモデルとなった玄奘がインドから持ち帰ってきた仏教の経典を保管するためにつくられたものです。高さは64メートルあり、頂上に上ると西安の街並みを一望に見渡すことができます。
■気候
北部は温暖な気候ですが、南側はモンスーン型気候に属しています。冬の平均気温は0度前後です。