遼寧省(りょうねいしょう)について
■遼寧省(りょうねいしょう)について
遼寧省は東北3省の中で最も南部に位置し、東南部では朝鮮半島と国境を接しています。また遼寧省は日本とロシアの文化から大きな影響を受けています。これには日清戦争と日露戦争という二つの悲しい戦争が関係しています。日清戦争後にはロシアの、日露戦争後には日本の支配下に置かれたためです。しかしそのような悲しい歴史があるにもかかわらず、大連の人たちはとても温かく友好的です。

ここは遼寧省の主要都市である大連の中心地です。大連はここを中心に10ほどの大小様々な道が放射線状に広がっています。町の中心に広場があり、そこから道が放射線状に広がっているという都市の設計は、西欧地域によく見られます。それもそのはずです。この広場を設計したのはロシア人で、パリをモデルにしてこの街をつくったからです。そのためこの広場は初めロシア皇帝ニコライ二世の名前をとり、ニコライフスカヤ広場と呼ばれていました。このニコライフスカヤ広場が中山広場になったのは中国が中華人民共和国となった後です。孫中山先生の功績をたたえてそれ以降中山広場と呼ばれるようになったのです。日本資本による様々な歴史的建物に囲まれていますから、広場を見て回った後に少し散歩をしてみると良いかもしれません。

遼寧省の省都である瀋陽は清朝の前身である女真族の王国後金の都が置かれた町で満州族ゆかりの場所であり多くの城壁や建物が残されています。その中でも瀋陽故宮は清の創始者ヌルハチとその息子ホンタイジが暮らした王宮で世界遺産に登録されています。敷地は大変広く90の建築物と20の庭園があります。
遼寧省は東北3省の中で最も南部に位置し、東南部では朝鮮半島と国境を接しています。また遼寧省は日本とロシアの文化から大きな影響を受けています。これには日清戦争と日露戦争という二つの悲しい戦争が関係しています。日清戦争後にはロシアの、日露戦争後には日本の支配下に置かれたためです。しかしそのような悲しい歴史があるにもかかわらず、大連の人たちはとても温かく友好的です。
■観光スポット
●中山広場(なかやまひろば)

ここは遼寧省の主要都市である大連の中心地です。大連はここを中心に10ほどの大小様々な道が放射線状に広がっています。町の中心に広場があり、そこから道が放射線状に広がっているという都市の設計は、西欧地域によく見られます。それもそのはずです。この広場を設計したのはロシア人で、パリをモデルにしてこの街をつくったからです。そのためこの広場は初めロシア皇帝ニコライ二世の名前をとり、ニコライフスカヤ広場と呼ばれていました。このニコライフスカヤ広場が中山広場になったのは中国が中華人民共和国となった後です。孫中山先生の功績をたたえてそれ以降中山広場と呼ばれるようになったのです。日本資本による様々な歴史的建物に囲まれていますから、広場を見て回った後に少し散歩をしてみると良いかもしれません。
●瀋陽故宮(しんようこきゅう)

遼寧省の省都である瀋陽は清朝の前身である女真族の王国後金の都が置かれた町で満州族ゆかりの場所であり多くの城壁や建物が残されています。その中でも瀋陽故宮は清の創始者ヌルハチとその息子ホンタイジが暮らした王宮で世界遺産に登録されています。敷地は大変広く90の建築物と20の庭園があります。
■気候
比較的温暖な気候ですが、冬季が一年の中の半分である6カ月であることが特徴です。